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グビジネスを俯瞰する。

以下の文章は「足と靴と健康協議会」(略称FHAの機関誌「とれゆにおん(TRAID’UNION)」(2009年3月発刊号。同協議会は日本の靴産業の企業による組織で、シューフィッターの養成や業界の研究、教育機関として活動しています。)に掲載されたものです。

はきものの復権をめざして
“虚”の修正と“実”への流れの中で
  

3.ファッションも打出の小槌で“虚”?

 

 こうしたモノや企業の実体からまったく離れた“虚”ではなく、モノの実体に密着して新しい需要をつくり生活を豊かにし、社会の成長に貢献するものがあります。
 それは“虚”と呼ぶには語弊がありますが、限りなく需要をつくり出すことでやはり打出の小槌です。
 第2次大戦後の多くの技術革新によって大量生産が可能になる中で、その受け皿となる大量消費を可能にしたのはモノに新しいスタイルやデザインをのせて付加価値とした情報消費です。
 この情報消費とはファッションのことで、日本では東京オリンピック('64年)が終った60年代後半から本格化しました。
 思い出すのは60年代の初め頃までは、婦人服が東京でもドレスメーカーと呼ばれる洋裁の先生のところで生地を選んで仕立ててもらいましたし、紳士服も80%は町のテーラーにオーダーしていたのです。
 60年代後半になって婦人服は鈴屋、三愛、紳士服は高久、三峰という既製服のチェーン店が大量消費の時代が来たこと、そして何よりもVAN、JUNがブランドとデザインという情報消費の時代を象徴していました。
 その頃私はメンズの洋服の専門学校で教えていましたが、ファッションとは何かということで“ユーザーの感性や価値観による多様性とシーズンごとの変化ということがなければファッションではない”と教えていました。
 “変化”というのは、新しい情報によって今あるものを古い陳腐なものにしてしまい、新しいものを買わせて新しい需要と市場をつくり社会の成長を促すものです。
 ファッションだけでなく、クルマもいろいろな車種がつくられるようになり、4〜5年ごとにモデルチェンジをして購買意欲をそそりました。
 当時私は60年代にアメリカで出版されたV・パッカードという人が書いた「浪費を創る人々」と云う本をくり返し読んでいました。“消費は美徳”と云われた時代のことです。
 浪費は云い方を変えれるとゴミをつくることになります。
 ファッションは楽しく、女性にとっては生き甲斐という人も少なくないでしょう。ファッションは自己表現ですから、無くなるものではありません。
 戦争中でも軍国少年たちは特攻隊の白いマフラーを真似したり、ゲートルの巻き方を決められた正規のやり方でなく、イキがって自己流にやって教官に殴られたりしていました。
 そうした自己表現欲を促して需要をつくり出し、トレンドによる情報の変化によって需要は限りなくつくり出されるように思えました。

 

4章「新しい別の流れが・・・・・・」つづく